面接で実感した「人のコスモ」

学生の時は生物学を専攻していました。その中でも、生命科学や分子遺伝子学の研究室だったので、即座に商業的利益を生み出すような応用研究というより基礎研究に励んでいました。当時は直接利益に繋がらなくても、好奇心や知識欲を満たせる基礎研究が楽しかったのですが、いざ社会に出てどんな仕事をするかと考えた時には、やはり自分の仕事が目に見えて役に立つと実感できる方が向いているんじゃないかと考えました。

というのも私自身がアクティブで趣味が多く、そのひとつにバイクがあったからです。高校までは青森、大学で岡山、大学院が北海道と、日本の色んな場所で生活してきて大学院時代にはバイクで北海道一周も経験しました。そんなこともあって、各地にある重工業メーカーや石油業界に興味を持ちました。

就職活動中はさまざまな企業の説明会や面接に参加しました。その中で社員の方々の人柄や会社の風土というものが明確に違いとして現れるものなんだなと感じました。特に、コスモでの面接が印象的で、「会社に入ったら何をしたいか」というような一般的な質問より、「あなたがどんな人か知りたい」という質問が中心のインタビューのような場でした。その面接を担当してくれたのが、当時の人事部長でした。就職活動中から「人のコスモ」というイメージを持っていましたが、その印象が確信に変わり、自分にはコスモが合っていると思い入社を決めました。

入社2年目でメキシコの国営企業に技術交流に

コスモに入社して、最初は四日市製油所の製造3課というところで、石油精製装置の省エネや収益改善運転の検討に取り組みました。私は主にFCC装置(流動接触分解装置)という、重い油を分解してガソリンや軽油などの価値の高い油に変換する、製油所の花形といわれる装置を担当することになり、1年目はFCCに関する知識の習得に尽力しました。

2年目になった時にコスモの海外協力事業に応募し、FCCに関する技術交流という目的でメキシコに行くことになりました。メキシコにはPEMEXという国営石油企業があるのですが、PEMEXの社員の人たちに対して、FCCの省エネ化や収益改善案を提案するプレゼンテーションを行いました。準備期間を含めると4ヶ月ほどの期間の仕事でしたが、自分たちが日本で実践してきたことが海外でも十分に活かせる、むしろ海外からコスモの技術が求められていることを実感することができ、非常にいい経験になりました。ちなみに、私は英語が得意ではなく、英語に関しては非常に苦労しました(笑)。

1年目、2年目と、自分が背伸びをしないと届かないようなレベルの仕事を任せてもらったり、自ら手を挙げて挑戦する機会があったり、入社前に想像していた以上に面白い業務に携わる日々でした。不安がなかったと言えば嘘になりますが、判断を悩む時にはいつもすぐに上司に相談できる環境でした。どんな上司・先輩も、「今忙しいから無理」ということがなく、いつでもオープンに話しやすい状況をつくってくれている。入社前に感じた「人のコスモ」も想像以上でした。

製油所横断の大規模プロジェクトを推進

3年目の半ばに、同製油所の技術課へ異動しました。当時、2年後にIMO(国際海事機関)によって、船舶の燃料油に含まれる硫黄分濃度を現状の3.5%以下から0.5%以下とする国際的な環境規制の強化が行われることが決まりました。これまでコスモを含む元売り各社は高濃度硫黄分の船舶燃料を販売していたため、低濃度硫黄分の船舶燃料生産への切替えが必須となり、コスモは低濃度硫黄分のC重油(船舶燃料の原料)を生産しているFCCの一部機能を改造し、対応していくことに決めました。このFCCの改造は四日市製油所と千葉製油所での実施が決まり、四日市だけでも約30億円規模のプロジェクトで、私はそのプロジェクト推進を任されることになりました。

これまで関わってきた仕事は装置運転の省エネや収益改善で数百万円から大きくても数千万円ほどの案件だったため、30億円というプロジェクトは格段に規模が大きく、四日市製油所だけでなく千葉製油所とも連携して進める仕事だったので、自分としては「背伸び」どころではない感覚でした。様々な工程が同時並行で動き、その中でスケジュールや予算を調整していくプロジェクトマネジメント。初めて経験する仕事ばかりで最初は戸惑いましたが、大切にしていたのは「素直であること」でした。知らないこと、できないことに直面した時に、知ったかぶりをすることなく、とにかく「聞く」「学ぶ」。その瞬間はかっこ悪いかもしれないけれど、自分を誤魔化して成長を止めることの方がよっぽどかっこ悪い。「かっこいい理想の自分」になるために、素直に、泥臭く、徹底的にやりきる。このプロジェクトを通じて、自分らしい仕事のスタイルが確立できたように思います。

製造・技術を経て、供給に

プロジェクトの設計までを終え、現在所属している供給部へ異動となりました。製油所で製造されるガソリンや軽油、船舶燃料などを、どれだけ生産するかといった供給計画を立て、販売へ繋げる仕事で、ちょうど、製造・技術・供給という工程ごとの仕事が経験できています。さまざまな油種の需要変動に合わせて供給計画を立てるということは、自分が決めた方針によって千葉・四日市・堺の3製油所を動かすことになるため会社の収益に直結する責任重大な仕事でもあります。まだ勉強中の身ではありますが、製造や技術の経験も踏まえたハイブリッドな「供給のエキスパート」になるべく、素直に、泥臭く、徹底的にやりきりたいと思っています。

先日、バイクで長野までツーリングに行きました。海のない長野まで、貨車が油を運んでいるところを見てみたくて。線路沿いの道を緑色のローリーを積んだ貨車と並走しながら、改めて自分の仕事が社会や暮らしと繋がっていることを感じました。自分の仕事が、確かに誰かの役に立っている。就活時にコスモを選んだ自分の決断は間違っていなかったと思います。もっと大きな手ごたえを感じられるように、いつかまた自分でバイクを運転して見に行けるように、日々の仕事に全力で向き合いたいと思います。

※本記事中に記載の肩書きや数値、固有名詞や場所などは公開当時のものです。