経理、そして人事
管理部門だからこそ見えた
「ヒト・モノ・カネ」

私がコスモに入社したのは1994年ですが、当時の日本はいわゆるバブル経済が崩壊して、証券会社の倒産やゼネコンの汚職など、日本企業に明るいニュースが少ない時代でした。私は経済学部で経営学を学んでいて、大学の同期は銀行やゼネコン、メーカーに進む人が多かったのですが、日本を支える根っこの部分でエネルギーの仕事がしたいと思ってコスモに入社しました。「元気がない日本をエネルギーで支える」という志望動機でしたね。

最初は当時のコスモ石油ガス(株)の総務部経理グループへの配属となりました。約70人の会社だったので、経費やLPGの輸入関連の伝票審査や決算などの業務を通じて、会社全体のお金の動き・モノの動きの両方を学ぶことができました。仕事と並行して簿記2級を取得し、「働きながら学ぶ」「学びながら働く」という自分の土台を創ることが出来た3年間でした。その後コスモ石油(株)の経理部に異動になり、法人税を中心とした税務の仕事や連結決算業務等を担当しました。当時、ちょうど会計ビッグバンと呼ばれる国際会計基準が導入された頃で、新基準を勉強しながら次々と新しい仕事に向き合っていく6年間でした。

次にコスモ石油の人事部人事グループに異動となり、従業員の評価や昇格、異動等を担当する仕事をしました。主に各部署の部長と部員の評価や昇格、異動について調整のためやりとりをするのですが、10年目の自分がベテランの部長や製油所長と意見を交わし合うことができたのは非常に貴重な経験でした。製油所を含めた技術部門や、原油外航部などの海外部門や石油開発部門など、経理部門にいた頃にはなかなか接点を持つことができなかった方々と交流を持てたこと、そして人を通じてそれぞれの部門や部署の仕事内容について詳しく学べたことも自分の財産になりました。

数字を見る力は、
現場でも活かされる

人事部で3年間仕事をした後、産業燃料部計画グループに異動しました。当時の産業燃料部は石油化学会社、電力会社や航空会社、運輸会社や防衛省などにナフサや灯油、軽油や重油、ジェット燃料などを直接販売する部署です。その中で部全体の方針の立案や、油種ごとの予算や実績の管理などを担当しました。当時の自分は販売の経験がない中で管理部門から異動してきたので、自分が得意な与信管理や財務諸表を読む力を活かして、販売に役立つ資料を作成しサポートすることで少しずつ販売担当の信頼を得ていきました。当時は原油価格が乱高下している頃で、その背景をお客様に説明するための資料を作ったり、お客様先に伺い新しい販売方法の提案をしたり、それまで管理部門で直接社外のお客様と触れる機会が少なかったので、販売担当と一緒に目標に向かって営業する、というのがとにかく楽しかったです。また、経理や人事の時に知る以上に、実際に現場でモノがどうやってお客様まで届くのかということを学べた期間でもありました。

産業燃料部での3年間の後、2009年からは経営企画部に異動になり海外企画グループと企画渉外グループで仕事をしました。経営企画部というのは、非常にバラエティに富んだ仕事ができることが醍醐味だと思います。経営企画部での最初の仕事は、旧コスモエネルギー開発(株)をコスモ石油(株)本体に吸収して統合する、という仕事でした。時間の制約がある中で様々な税制を駆使しつつ、関係各部署との調整に奔走し当時の大株主だった中東のファンドに現地まで説明に行ったこともありました。また、韓国の石油会社とソウルに設立した合弁会社の日本サイドの窓口も担当しました。社内の誰も経験したことがないプロジェクトだったので、次から次へとやるべきことが湧いてくるのですが、「ヒト・モノ・カネ」についてこれまで学んだことを総動員して向き合いました。誰かに教わって仕事をするのではなく、自分で考えて自分で動く。これまでに培ってきた総合力が問われるような経験でした。

ロンドンで子会社の社長、
中東で鉱区取得プロジェクト
想像もしなかったキャリアが
広がっていった

経営企画部での3年間の後、ロンドンの子会社に社長として赴任しました。中東の産油国に支払う原油代(ドル)を英国で調達することが主な業務だったのですが、せっかくロンドンまで行くのでコスモが欧州に関わる仕事については、積極的にサポートしようと思い現地に向かいました。駐在期間はおそらく3年ぐらいの任期になるはずだと見込んで、1年目は業務を見直してコスト削減をし、2年目で種をまき、3年目でそこからいくつか芽を出すことをめざす、というざっくりとした計画を立てました。1年目に自分が取り組んだのはコスト削減です。経理処理を内製化したり、その他外部に業務を委託している委託先を見直すことで、欧州各地を出張するための原資を捻出しました。日本からだと欧州に出張することはなかなかハードルが高いですが、ロンドンからは3時間もあれば欧州各地に行くことができます。産業燃料部と連携して、欧州やロシア、アフリカの航空会社の情報収集や契約手続きをサポートしたり、また原油外航部と連携してBPやシェルなどのメジャー、大手トレーディング会社から少しでも安く原油を調達したり、そんな活動を2年目に行いました。3年目にはスペインの石油会社との連携協定を模索する話があり、マドリッドに何度も行って協定に向けた道筋を調整し、結果的に包括的な連携協定を結ぶところまで貢献することができました。更に、コーポレートコミュニケーション部と連携して、ロンドンやスコットランドにいる投資会社にアポイントを取って、私から日本の石油業界の現状や当社の動向について説明する、いわゆるIR活動のサポートも行いました。

ロンドンでの4年9カ月間の後、コスモエネルギー開発(株)企画管理部企画渉外グループのグループ長を務めました。アビダビ石油のヘイル油田という新しい鉱区が原油の生産を開始した直後のタイミングでしたが、さらに次の原油開発に向けた戦略を練ることが重要なミッションの一つでした。ヘイル油田の近くにあるOffshore Block 4という海上鉱区の公開ラウンドに参加し、アブダビの国営石油会社やスペインの石油会社、国内の石油開発会社などとも話をしながら鉱区取得に向けてチームメンバーと一緒に奔走しました。コスモエネルギー開発(株)での在籍は2年間でしたが、離れた後に鉱区取得の知らせを聞きとても感慨深かったです。

次世代事業推進という
新しい挑戦へ

2019年4月から、コスモ石油マーケティング(株)の次世代事業推進部長という役割を担い、まずは「コスモでんき」という電力小売事業の販売を開始して全国展開を進めました。今も順調に拡大しています。最初は自分も含めて6人ほどの部員数でしたが、4年間を経て現在20人を超える組織へと増員してきました。電力小売事業の売上高ももう少しで100億円に届く規模まで育っており、今では電力小売だけではなく新たな商用EVや太陽光発電パネルの販売、EVカーシェアの展開などコスモが推進する新しい事業を新しい販路で新しいお客様に提案し、成約を重ねることで確かな手応えを感じることができています。

改めて振り返ると、いろいろな仕事を経験することができたと思いますし、その全てが今に繋がっていると感じます。職場や仕事内容が変わる度に意識をしていたのは、その時々の仕事に必要な知識をしっかりと学ぶということです。経理時代の簿記や新しい会計基準、人事の評価や異動についての専門知識、産業燃料の各商品特性や会社全体のビジネスプロセス、会社設立のために必要な手続きや法律、ロンドン赴任に向けた英語力、中東の原油開発状況、電力自由化に伴う新ビジネスの市場やマーケティングそのもの、数え上げればキリがないですが、新しい仕事に必要な知識やスキルを職場が変わるごとに一から学びました。私の場合は、自分から希望をして職場を選んだというよりも、必要とされる場所で働いてきたという感覚ですが、新しい職場で新しい仕事を経験することで、自分の成長を実感できることを楽しんできました。シンプルではありますが、仕事において地道な努力を続けること、きちんと準備することが成果に繋がっていくと感じています。

私にとって転機になったのは、ロンドン赴任だったと思います。「海外で仕事をする」ということを希望はしていたものの、ある程度経験を積んでからと思っていました。私が入社3年目ぐらいでロンドンに行っても、40歳で行った時と同じような成果を残すことは難しかったと思います。ヒト・モノ・カネについてひと通り学び、会社内で様々な部署の人たちと繋がり、その上で海外に行ったことによって、若い頃には見えなかったであろう点と点を繋ぎ、ビジネスの成果へと発展させることができたと思います。「若いうちから海外で」という気持ちを持つ人はどんどん挑戦してほしいと思いますし、一方で経験を積んだ上での挑戦も、それはそれで非常に面白いということをお伝えしたいですね。

目の前の仕事に本気で取り組むことが、
仕事の意味に繋がる

人生の大半を占める仕事において、私は「やりがいを持てる仕事」と「尊敬できる上司」のどちらかもしくは両方が満たされていればハッピーだと思っています。私は幸運なことに、コスモに入社してからその両方もしくは片方がずっと満たされてきました。「尊敬できる上司」というのは、人と人の相性もあるので、自分に合った雰囲気・風土を持った会社を選ぶことが大切だと思います。「やりがいを持てる仕事」というのは、究極を言えば「自分次第」なところもあると思います。目の前の仕事だけを考えれば、時に仕事というのは単調で、同じことの繰り返しのように感じることもあるかもしれません。けれど、それが何に繋がっているのか、今できないことをできるようになれば次にはどんなステージが待っているのか、そんなことを意識すれば、目の前の仕事が持つ意味は変わってくると思います。

結局今も「元気がない日本をエネルギーで支える」、という入社前に思っていたことをずっと目指して仕事をしているのかもしれません。自分が納得できるいい仕事をする、それはチームの成果や会社の成長に繋がる、コスモがもっといい会社になればもっと社会に貢献できる。これから先も、コスモでの仕事を通じて社会を元気にしていきたいと思います。まだまだ挑戦は続きます。若い皆さんと一緒に仕事ができることを、楽しみにしています。

※本記事中に記載の肩書きや数値、固有名詞や場所などは公開当時のものです。